死のうとした話。うつの正体はもう一人の自分かもしれません

◆病院の受診を決意した出来事

私はうつ病です。今は、毎晩寝る前と朝起きたときに薬を飲んでなんとか暮らしています。私に、病院の受診を決意させた出来事をまず書きたいと思います。死のうとした話です。
実は当時の記憶は曖昧で、簡単につけていた日記やレシートなどの記録によれば2014年の10月のことです。気が付いたら手首と首と脇腹を包丁でかき切った状態で、首とダイニングテーブルをコンセントの延長コードで括り付けて、大量の風邪薬の空き袋に囲まれて目が覚めました。
その頃は、よく立ち眩みがして、息が苦しくなることに悩んでいました。もしかして鬱かもしれないとも考えながら、どうしたらいいのか分からないでおりました。そんな中、最後の決め手となった出来事です。
そうなる前に眩暈がして倒れこみ、「ひんやりした床が気持ちよくて落ち着くなぁ、とにかく部屋までは帰れたからここでだっていいやしばらく休もう」と考えたことを覚えています。不思議なことに、倒れこんだ時のことは本当に鮮明によく覚えているのですが、そのあとに気がついたら、先述の状態という有様でした。

 

死にたいなあ死ねる方法が知りたいなぁと絶えず考えるようになっていた私は、インターネットで自殺について調べて夢中になって読んで泣き耽っていましたから、自分が何をしようとしたのかはすぐに分かりました。どれもけして致命傷になるようなものではなくて、今もピンピンしている私ですが、そのことは私を完全に追い詰めるに十分な出来事でした。
そうして「もうだめだ」「私は本当に死にたいんだ」と、絶望と共にはっきりと感じました。
私はその日のうちに、泣きながら、震えながら、心療内科を予約しました。

 

 

◆幸せになる事が許せない

受診してから、様々な検査やカウンセリングを受けた中ではっきりしたことは、私が自分のことが大嫌いだということです。
当時、そして今も、私は自分が笑ったり、楽しんだり、将来について考えたり、ひとと先々の計画を話したりすることに酷い罪悪感を覚える問題を抱えています。生きている事そのものを否定します。「なぜまだ生きているんだ」「よく平気な顔してのうのうとすごしていられるな」そう声が聞こえるように自分の事を責めるのです。楽しいことがあったら、苦しくて泣いてしまいます。先々の幸せについて誰かと話し合えば、反動で酷い眩暈と動悸に襲われて心臓と肺が暴れるように呼吸がうまく出来なくなります。そうして体の動きが制限されていくと、次第に心も囚われて、死にたいとしか思わなくなるのです。
当時の事はよく覚えていませんが、その日も体が動かなくなった後、心が死にたいでいっぱいになったのでしょう。そうして、行動した。
私は、私自身に恨まれいて、殺されかけている。そう感じます。